読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「模範都市」を見てきた

さてと。参りますか。
さてと。参りましょう。
私たちはいい人たちです。
選ばれたんですから、間違いありません。
いい人たちはいいモノに囲まれていい暮らしをするべきなんですよ。
いい人たちがいいモノに囲まれていい暮らしをすれば、この街はいい街になるんですからね。
いい街はいい世の中をつくります。
いい人たちがいなければ、いい世の中にはなりません。
さてと。参りますか。
さてと。参りましょう。
私たちはいい人たちです。
選ばれたんですから、間違いありません。

http://stat.ameba.jp/user_images/20151101/22/rising-tiptoe/68/40/p/o0595084213471586278.png

ameblo.jp


某よく行くバーで知り合った常連さんで希久地 沙和さんという役者さんがいるのですが、その方が東京芸術劇場で出演するということで観に行ってきました。

お恥ずかしながら、演劇というものを今まで観たことがなくて、ニュージーランドでCAT'SとラスベガスでシルクドソレイユのO(オー)を観たことはあるけど、あれは演劇っていうか・・・ねぇ?な感じですよね。
さらに言うと学生の時に大学の演劇部の人たちが新入部員勧誘とか文化祭とかで教室を使ってやっているのを観に行ったことはあるのですが、なんか全身黒タイツの人たちが集団でぐにゃぐにゃしてるやつ・・暗黒舞踊っていうの??をみせられて「まっっっっったく理解できん!!\(^o^)/」となり、とくに観に行くきっかけもなく今まで過ごしてきたわけでして・・・

そんな演劇ド素人のただの感想です。

観る前

チラシに冒頭の文章が載っていて、かつダークコメディです、と書かれているのを読んで・・
まず、なんだかキモチワルイかんじ。
「選ばれたいい人たち」が述べているのであろうこの文章、驕ってちょーしに乗っちゃった感満載であります。

他の事前知識としては、主催のRising Tiptoeは1人劇団で、企画や本を書いたりするひと一人で公演ごとに役者やスタッフを募る形でやっている、最近の演劇界隈ではそういう劇団といっても役者1人とかそういうフリーランス的な感じの形態を取っているところが多いよーとか、東京芸術劇場でやるのってやっぱり劇場側からの審査とかもあるからそこらの劇団じゃなかなかできないよーとかそんな感じでまったく劇の内容に関係ないことばかりですw

ちゅうことで、東京芸術劇場どーん
そういえば、池袋はたまに行くのですがココの中に入るのも初めてでした。
f:id:naotinn74:20160301221611j:plain

そして場所はシアターイーストと言われていたのですが、中にはいってさっそく軽く迷って。。
見つけた。
f:id:naotinn74:20160301221801j:plain

観てる途中

まず、劇の冒頭で冒頭の文章のセリフを言うひとたち。
沙和さんがいるぅぅぅぅぅぅうぅぅぅうぅううぅ!!!!東京芸術劇場の舞台に沙和さんが立ってるぅぅぅぅうううぅぅぅぅううぅ!!!!。・゚・(ノД`)・゚・。と半泣きに。
えぇ、まったく泣けるシーンではないんですよ。。全く。。

と、ひとしきり感動(?)したあとは話の中に吸い込まれるような感じでした。
なにせ、いろいろとシンプル。
背景?も銀色のキラキラしている反物が天井から床に向かって5つ垂れ下がっているだけ、大道具的なものも、丸いすを並べているだけで下げたりするのは役者自身。
音楽もほとんど無いので、あとは役者の服装や喋っているセリフの内容から、観ているこちら側が状況を想像して補完していかなければならない、セリフもマシンガンのように繰り広げられて、途中ちょっとわからない言葉も出てくる、というかなりハイコンテキストな内容。
ただ、余計なものが無いのでかえって話に集中できたのかなーと思います。

千秋楽も終わっているのですが、どこまで書いていいものかよくわからないけどざくっとしたあらすじとして・・

人口2万人の地方都市のとあるボロマンションの住民会議に国土交通省の役人がやってきて、この街を模範都市とするプログラムをはじめます、あなた達はそのプログラムで選ばれたいい人たちです。
セレブとして一生遊んで暮らせる保証をします、ただしバレないようにね、、、と。

さらには街の再開発によって宇宙から見える巨大モールができたり、ドブ川がセーヌ川に見立てた川に変わり、新しい住民として多くの若者達もやってくる。
若者たちは一同にモノを買うことを良しとして、まだ何もモノを買っていない人に対して同調圧力をかける。
なぜならこの街で住民登録をする条件として「新しい物を買うことに興味があること、ネガティブなことをいわないこと」が要件だから。

その傍ら潰れそうなスーパーがあり、そこのバイト学生たちは親や地元のつながりから逃げきれない。 一人だけ「よそもの」の女子大生バイトが店の売上を上げようと野菜の出張販売等を提案して孤軍奮闘する。

そんななか将棋の名人とプリンセス○ンコー的なイリュージョニストが街にやってきて、「作られたセレブたち」は名人に弟子入りする。
そしてイリュージョニストがあるときチャリティイベントでモールごと消すというイリュージョンをするといい、特等席として空中席なるものまで用意します、さらには空中席ごと消しちゃいます・・・と。

若者たちは我先にと空中席の予約をしようとするが、予約開始5分で席は売り切れ。
「あの人たち(=作られたセレブ)」が買ったんじゃない?となるけれど、どうもあの人たちっておかしいよね、と「作られたセレブ」たちに疑問を抱く。

同じ頃、スーパーのバイト達の「ちょろまかし」が店長にバレてしまい、店の売上も悪いので誰か一人辞めてもらわないと・・オレ(店長)は決められないからお前らで決めろ、となったがバイト達でも決められないので多数決をとったら「よそもの」女子大生が選ばれてしまう。
あなたはよそ者だから、私達と違って地元や親のつながりとかないし、どこに行っても大丈夫だよね、と。

そしてイリュージョンイベント当日、大雨が降って「セーヌ川」上流のダムが決壊。
モールごと流されてしまい、イベントも中止。
「作られたセレブたち」は返金を要求するが、天災による中止なので返金対象ではないことと、そもそもチャリティですしー・・と。
また、あなた達の素性がバレてしまったようです・・・と投書をみせられるセレブたち。
慌てるセレブたちに対して国交省の役人は「このままこの街で前の生活に戻るか、今度は別の都市ごと購入して新たなプログラムを始めるのでそちらに行くか、どちらにするのか決めてください」と言い渡し、セレブたちは新しい街へ行くことを決める。

スーパーのバイト達が新たなサービスとして農園体験サービスを始めたところに「よそもの」女子大生が戻ってくる。
はじめは気まずい感じだけれど「この前のモールが流された大雨で畑もぐちゃぐちゃだねー」「今日も午後から雨みたいだねー」「またぐちゃぐちゃになっちゃうねー」と言い合っていたら「また耕せばいいじゃない、さあ外に行こう」と女子大生が言う。

観たあと

若者たちは「モノというものは、そのモノを持つことによる経験を得るためのかりそめの姿なのだ」と古いものを捨てて新しい物を買うことを良しとして「私は銀のスプーンを買いました!」「僕は電池を買いました!」と言い合い、まだ何も買えていない人に対して何かを買うように促したり、そういった空気になっていることに疑問を抱いた人をたしなめたりするのですが、その根底にはそうでないと住民登録を抹消される(=追い出される)というある種の強迫観念からきているのだろうなと。

バイト達の会話の中で「コルチャック先生は子どもたちと一緒に死なないで済む手もあったのにねー」というセリフがあったのだけれど、それもバイト達自身のことを皮肉っているように伺えます。
多数決で「よそもの」女子大生をクビにすることを決めた時のセリフからも伺えますね。
コルチャック先生って誰・・と思って調べたら実在の人物でした。

これらから「みんな一緒でないとダメ」という全体主義、あるいは同調圧力のような気持ち悪さを感じさせる狙いがあるのかな、と。

また、モールが流された後の話では若者たちが出てこないのですが、一緒に流されたのかなーと。。
そして、違う街で都市ごと購入して新たなプログラムを行う、ということから都市自体をも「使い捨て」としか見ていない状況もみえます。

そして「セレブ」で居続けることを選んだ「セレブであることを辞められない」人たち。
一度、楽なものにハマってしまうとなかなか抜け出せない、そんな人間が持つ弱さ。
さらに言うと・・題材としたかはわからないけれど、国家ぐるみで「セレブ」を作ることまではしていないとは思うけど、そういう国がそういえばあるなぁ・・・なんて思ったり。

また、将棋の名人という「本物のセレブ」と「作られたセレブ」とのやり取りで名人が以下のような話を「作られたセレブたち」にします。


「井戸の中にいるヒキガエルとガマガエル。
ガマガエルは大海を目指し、外へ出る。
ビビって外へ出ず、井戸の中に居続けたヒキガエルはある日、大雨が降って洪水が起こり井戸の中にも水が入ってきて溢れた水とともに外へおし出されてしまう。
そして、外に出てしまったヒキガエルはちょうどそこに飛んできたカラスに食べられる。
そして、大海に出ていたガマガエルが井戸に戻ってきた時に無残な姿となったヒキガエルの姿を見て、そしてガマガエルもカラスに食べられる。」


ちょっとヒキガエルとガマガエルの立ち位置が逆かもしれないけれど。。

「作られたセレブ」は「それってどっちも結局死ぬんじゃないですかっ!」とツッコむのですが、それって人間の生き様そのものでもあるのかな、と。
誰でも最後は死ぬので、それまでの間にチャレンジをするのか、そのままでいるのか。

バイトの女子大生も店長に却下されてしまうけれど、売上を上げるための新たな施策を提案したり、バイトを辞めさせられた後にモールで新たな仕事についたりと、チャレンジをする人です。

あなたはどちらの人生を選びますか?
そんな問いかけをされたような気がします。
もしも、新しい街での話をするのであれば、出演者が今回のと全員違うとしても観に行きたいな、と思いました。

某よく行くバーの他の常連さんたちも何人か観に行っていたので、いろいろと感想を言い合ったりもして、その中でカーテンコールがなかったことに対する意見もありました。
何を狙ってカーテンコールをしなかったのかはよくわからないけれど、正直にいうとどっちでもいい派w

あと惜しむらくは、こういった演劇ってよっぽどでないと再演はしないということだそうで・・・
生で観るライブ感は薄れてしまうのかもしれないけれど、例えばインターネットでのオンデマンド配信とかでいつでも見られるようになればいいのになーと。
そこが演劇のいいところでもあり、もったいないところでもあるのかな。