人を楽しませるということ

人を「楽しませる場」

家の近所の「よく行くバー」ではたまにえみこさんという方が一日マスターのような感じで「スナックえみこ」というイベントをしています。

そのえみこさん、私よりはだいぶ「お姉さん」なのですがすごくパワフル。
そして「スナックえみこ」では色々なゲストをお迎えして何かをやってもらう時間というのがあります。

ある時は大道芸人、弾き語りのピアニスト、ヨーヨー世界大会のチャンピオン、アナーキーなロックバンド、シンゴジラにも出演していた俳優さんによる朗読と、出てくる人は「芸」という共通項はあるものの、ジャンルとしては多種多様。

スナックえみことは?

朗読会では近藤弐吉さんという、シンゴジラでは海上自衛隊の幕僚長役をされていて、私自身は役者さん方面に詳しくないので後から言われて「ああ!!そういえば!!」となる方ではあるのですが、太宰治「未帰還の友に」「黄金風景」「待つ」を朗読された時の臨場感はとても文章化できるスキルが自分にないことをとても悔やむぐらい。
さすが役者さんといいますか、登場人物によってセリフの言い方を変えたり、情景によって表情や顔つきも変わったり。
はじめは「朗読?・・・ふーん。。」だったのですが、いざ始まってみると引き込まれる。

他にもピアノの弾き語りのイーガルさんも素晴らしく、お店にはグランドピアノが置いてあることもあり、さまざまなジャンルのライブ演奏があって、いろいろな人の演奏を聞くことは多々あるのですが、この人の歌とピアノは本当にすごいなと思ったり。

大道芸人の人はお店の天井にぶつからないような芸、ということでボールやお手玉(?)とかそれでもすごく楽しめるものをやってくれたり。

えみこさんもお手製のお料理や自家製サングリアやクラフトビールといったいろいろな食べ物や飲み物を用意して、出迎えてくれます。
この日だけはいつもの「常連さん」に加えて見かけない人がたくさん来て大盛り上がりです。

えみこさん の先眼力

えみこさんが呼んでくるいろいろな方たちに共通しているのは「芸」という点もそうなのですが、まずはえみこさん自身が「この人すごい!!」と思った人であるということ。
そして、えみこさん自身が「この人と仲良くなりたい!」と思った人であること。

例えば音楽を演奏する人で、いくら演奏が巧くても心を揺り動かされない、また、演奏前後の行動が良くなければ、彼女の言葉を借りると「光が見えない人にはお客さんたちもお金や観に来る時間も出さない」だから、そういう所すべてを見て「この人にやってほしい!」と思える人には積極的に声をかけて呼んできているそうです。

真のエンターテイナーとは

また、えみこさんはイベント時は完全に裏方に徹しています。
司会進行のような形で喋ったりはするのですが、お客さんを出迎える、「芸」を披露してもらう、料理や飲物を提供する、お客さんが帰る際にはドアの外まで出て見送る、そいういった所作のひとつひとつに「来てくれて本当にありがとう!楽しんでくれて本当にありがとう!」という気持ちを感じられる。
どうやったらお客さんが楽しんでくれるか、基本的には「見て見て!この人すごいでしょ!」ではあるけれど、それが本当に自分以外の人もそう思ってもらえる人なのか、彼女は「やだ〜、私がやりたい事をやってるだけよ〜」とは言うものの、ものすごく考えているのではと思うのです。
例えば朗読会で朗読する作品のチョイスはえみこさん自身によるもの。
太宰治が好きというのもあるけれど、太宰治作品の中でも「走れメロス」や「人間失格」などのメジャーな作品ではなく、マイナーな作品ではあるものの、この作品は本当に良い、読み手に対してさまざまなことを訴えかけるもの、太宰治ってこういうのも書くんだね、みたいなところを、ただの私の想像ではありますが、そういう観点で選んでいたのではとも思うのです。

人の時間軸とライブは連動する

「人の時間軸とライブは連動する」これも彼女の言葉ですが、そのとき、そのときにライブ(生)で体感したもの、見聞きしたものはその人の時間軸に収束し、そしてそこから生まれた感動や揺さぶられた気持ち、想い、考え、それら全てがそれ以降のその人に対して与える影響というのは何気ない日常生活の中の1シーンに過ぎないとしてもかけがえのない思い出やその後の原動力になっていくのではないかと思うのです。

かたや、自分も勉強会と称して主にAWSのことについての会を主催しているけれど、やっている内容はぜんぜん違うにしても自分がしている会はどうなのだろうか、ちゃんと楽しんでもらえているのだろうか、勉強になった!と思ってもらえているのだろうか、自己満足に陥っていないだろうか、「お客さん目線」から外れてしまっていないだろうか、ただただそればかりが気になります。